「今日はブログどうしようかな…」
仕事が忙しくて疲れた日や、帰宅が遅くなった日。
ブログを書くのが好きでも、こんな言葉が頭に浮かぶことがあります。
できるだけ毎日に近いペースで続けていますが、いつも同じ気持ちで取りかかれるわけではありません。

書くことが好きでも、重い日はある
正直に言うと、ブログを書くことが義務に感じる日もあります。
仕事で疲れている日だけではありません。ほかにやりたいことがあって、今日はそちらに時間を使いたいと思う日もあります。
それでも、記事を書くなら、文章の量も中身もできるだけ妥協したくありません。
自分が書こうと思った内容を、毎日の投稿に間に合わせるためだけに削ってしまうのは、少し違う気がするんです。
せっかく書くなら、自分が納得できるものに仕上げたい。
でも、そのために翌日の生活まで犠牲にするつもりもありません。
ふと時計を見て、作業をやめた日
仕事から帰って、ブログを書くためにPCに向かっていました。
帰宅が遅くなった日でしたが、書けるところまでは進めようと思っていました。
記事を書き進めている途中、ふと時計を見ると、思っていたより時間が経っていました。
「もうこんな時間か、完成させたかったけど明日に響くからやめとこう」
記事はまだ途中でした。
できれば、その日のうちに投稿したかった。
でも、翌日も仕事があります。
「今日投稿出来たらよかったけど、明日の仕事の方が大事。」
「明日完成させよう」
そう考えて、その日の作業を終えました。

翌日は、前日の続きから書き始めました。
残っていた部分を書き進め、記事を完成させました。
ブログに投稿し、noteの投稿も終えることができました。
普段から、だいたい日付が変わる頃までに完成しなければ、翌日に回すようにしています。
翌日の仕事に影響しないことが、一番大切だからです。
反対に、時間に余裕がある日には、翌日分の記事の下書きを少し進めることもあります。
無理のない範囲で、書けるところまで進めています。
同じ「毎日」でも、変えるところが違う
以前、『筋トレを休んだ日、「明日はやらなきゃ」と思っていた』で、毎日の義務になっていた筋トレを、その日の調子に合わせるようになった話を書きました。
また、『ブログは続ける。Xの毎日投稿はやめた』では、記事を届けるために続けていたXの毎日投稿を、期待していた効果が得られずにやめた経緯を書いています。
どちらも自分で始めて、続けていたことです。
筋トレでは、量を減らしたり、やらない日を作ったりするようになりました。
Xでは、毎日投稿するという方法そのものを手放しました。
そしてブログでは、記事を仕上げる日を変えています。
なぜ、ブログだけ違うのか。
まず、ブログは自分だけが読むものではありません。
公開したその日だけでなく、あとから誰かが読んでくれることもあります。
そう考えると、その日の投稿に間に合わせるためだけに内容を削るのは、やっぱり違う気がします。
それに、ブログは何かのための手段であると同時に、記事を作ることそのものが、やりたいことにもなっています。
日常で考えたことを文章にして、構成を考え、何度も読み直しながら一つの記事に仕上げていく。
今は、その作業自体が面白いと感じています。
完成した記事が残り、少しずつ積み重なっていく実感もあります。

自分が納得できる記事を完成させることも、満足感につながっているのだと思います。
ブログは、自分の考えたことを形にして残す活動として、生活の中での優先順位が高くなっているのかもしれません。
もちろん、そんなブログにも、書くことが重く感じる日はあります。
次に時計を見て「もうこんな時間か」と思った時も、きっと同じように作業を終えると思います。
書きたい中身はそのままに、続きは翌日へ。
今は、そんなふうにブログを続けています。
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