しんどい日に何もできない人へ。「最低これだけ」を先に決めておく

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連勤明けの夜。仕事は乗り切ったのに、家に帰ったとたん、何もできなくなる。

夕食はコンビニのおにぎりを立ったまま食べて、お風呂に入る気力もなく、部屋の電気をつけたままソファで寝落ちする。

翌朝、目が覚めて思う。「昨日、何もできなかったな」と。

洗い物も、洗濯も、風呂も、全部飛ばした。そんな日が続くと、暮らしが崩れていく感じがして、自分にがっかりする。

——そんなふうに、「しんどい日は、暮らしがまるごと崩れてしまう」と感じる人に向けて書きます。

結論を先に言うと、総崩れするのは、あなたがだらしないからではありません。「調子がいい日の基準」で、しんどい日の自分を測っているからかもしれません。

コンビニの包みが残る夜の部屋、力尽きて何もできなかった日の眺め

総崩れするのは、意志が弱いからではない

まず言っておきたいのは、しんどい日に何もできないのは、あなたの意志が弱いからではない、ということです。

人の調子には、波があります。よく眠れた日と、連勤明けの日。心が軽い日と、仕事で削られた日。同じ自分でも、使える力は、日によってまったく違います。

問題は、暮らしの基準が、たいてい「調子がいい日」に合わせて作られていることです。

自炊して、お風呂に入って、洗い物をして、部屋を整えて寝る。それは、力が残っている日の暮らしです。その基準のまま、しんどい日の自分を測ると、どうなるか。

毎回、「できなかった」になります。

調子がいい日の自分を「普通」にしてしまうと、しんどい日の自分は、いつも落第です。でも本当は、落第したのではなく、測るものさしが、その日の自分に合っていなかっただけなのです。

暮らしの基準は、一つだけでなくていい。調子がいい日の基準と、しんどい日の最低ライン。この二段階で考えるだけで、「できた/できなかった」の見え方が、少し変わってきます。

「全部やる」か「全部やめる」か、になっていないか

しんどい日の暮らしが崩れるとき、頭の中では、こんなことが起きています。

いつも通り全部やるのは、無理だ。じゃあ、もういいや——。

「全部やる」が無理だと分かった瞬間に、「全部やめる」に飛んでしまう。中間がないのです。

そして、全部やめた夜は、少し楽になった気がして、翌朝に反動が来ます。流しの洗い物、脱ぎっぱなしの服、電気代の後悔。崩れた分を取り戻す手間と、「またやってしまった」という気持ちが、次の日の自分に、のしかかります。

つまり、しんどい日にいちばん危ないのは、しんどさそのものではなく、「基準を失って、底なしに落ちること」なのだと思います。

以前の私は、これで何度も連鎖崩れを起こしていました。連勤明けに一日崩れる。翌日、崩れた部屋を見て気が重くなり、また崩れる。三日目には、流しの洗い物が「見たくないもの」になっている。最初の一日より、そのあとの連鎖のほうが、ずっとしんどかったのです。

しんどい日用の「最低これだけ」を、先に決めておく

そこで、やり方を一つ変えます。

調子がいい日の基準とは別に、しんどい日専用の「最低これだけ」を、元気なうちに決めておくのです。

たとえば、こんな具合です。

  • 何か食べる:おにぎり一個でも、そのままのパンでもいい。「ちゃんとした食事」でなくていい。
  • 着替えだけはする:お風呂が無理な日は、寝間着に着替えるだけでいい。
  • 一つだけ、元に戻す:コンビニの袋を捨てる、コップを流しに運ぶ。どれか一つでいい。

これは、家事を頑張る方法ではありません。調子が落ちた日の暮らしを、通常モードから「最低ラインモード」に切り替えるための、考え方です。

ポイントは、内容ではなく、「これを守れたら、今日は合格」と、先に決めておくことです。守れない日があっても、大丈夫です(それはあとで書きます)。

しんどい日の自分は、考える力も残っていません。その場で「どこまでやるか」を判断させると、全部やるか全部やめるかの二択に飛んでしまう。だから、元気なうちに「底のライン」を引いておいて、しんどい日は、そこに立つだけでいいのです。

最低ラインは「怠け」ではなく、暮らしの安全網

「最低限でいい、なんて自分を甘やかしているだけでは」と感じるかもしれません。

でも、逆だと私は思っています。

最低ラインは、落ちていい場所を決める「底」です。底があると、しんどい日でも、そこで止まれます。底がないと、一回の総崩れが、二日、三日と連鎖していきます。

登山で言えば、ベースキャンプのようなものです。天気が悪い日に、無理に頂上を目指さず、キャンプまで戻る。それは撤退ではなく、次に登るための準備です。

暮らしも同じで、しんどい日は「頑張る日」ではなく、「底を守る日」。そう役割を分けておくと、できなかったことを数える夜が、少し減っていきました。

私の「最低これだけ」は、三つだけ

たたまれた寝間着と簡単な食べ物、しんどい日の「最低これだけ」の支度

私の場合、しんどい日の最低ラインは、この三つにしています。

何か食べる。寝る服に着替える。部屋の電気を消して、布団に入る。

夜勤明けや連勤の終わりで、力が残っていない日は、この三つだけやって、あとは寝ていい、と決めています。洗い物が流しに残っていても、洗濯物がたまっていても、この三つを守れたら、その日は合格です。

最初は、洗い物を放置することに、罪悪感がありました。でも、「今日は最低ラインの日」と自分で決めてあると、同じ放置でも、気持ちがまったく違います。

「できなかった」ではなく、「今日はここまでと決めていた」。結果は同じでも、自分への言葉が変わる。この違いが、思っていたより大きかったのです。

最低ラインすら無理な日は、それでいい

正直に言うと、最低ラインさえ守れない日も、あります。

着替えもせず、何も食べずに寝てしまう夜。そういう日が、ゼロにはなりません。

そんな日は、「最低ラインすら守れなかった」と数えなくて大丈夫です。守れなかった日は、それだけ削られていた、というだけのこと。責める材料ではなく、「今週はかなり削られてるな」と知るための、目印くらいに考えています。

最低ラインは、テストではありません。守れた日は少し安心できて、守れなかった日は自分の消耗に気づける。どちらに転んでも、自分を知る道具として働いてくれます。

シフト勤務は、波が読めないからこそ

介護の仕事は、シフトで生活リズムが毎週変わります。夜勤が続く週、早番と遅番が入り乱れる週。調子の波が、自分でも予測できません。

だからこそ、「今日はしんどい日かどうか」を、朝の時点で決めてしまうのも、ありだと思っています。

たとえば、夜勤明けの日は、最初から「最低ラインの日」と決めておく。もし少し動けそうでも、通常日の基準まで戻そうとしない。その日は、底を守れたら十分な日として、最初から役割を分けておく。

すると、夜勤明けに何もできなくても、それは「予定通り」です。できなかった日ではなく、計画通りに底を守った日になります。

今日できる、小さな一歩

朝の光が差すベッドまわり、底を守って眠れた日の翌朝

今日は、一つだけ。

自分の「最低これだけ」を、一つだけ決めてみてください。

「しんどい日は、これさえできたら合格」と言えるものを、一つ。迷うなら、「何か食べる」「寝る服に着替える」「歯だけ磨く」——この中から一つ選ぶだけでも大丈夫です。

紙に書いても、頭の中で決めるだけでもかまいません。

大事なのは、しんどくなってから考えるのではなく、まだ力のある今、決めておくことです。次にしんどい日が来たとき、その一つが、落ちすぎないための底になってくれます。

おわりに

しんどい日に暮らしが崩れるのは、あなたが弱いからではありません。調子がいい日のものさしで、しんどい日の自分を測っていたからかもしれません。

調子には波がある。だから、基準にも二段階あっていい。

ちゃんとやる日の基準と、底を守る日の基準。この二つを持っておくだけで、「何もできなかった」と落ち込む夜は、少しずつ減らせるかもしれません。

しんどい日は、頑張る日ではなく、底を守る日。それで、十分です。


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