人に見られていると、いつも通りにできない人へ。確認することが増えているのかもしれない

整える暮らしシリーズのメンタル系アイキャッチ画像 整える暮らし

誰かに見られていると、普段どおりに動けなくなる。

一人のときなら考えずにできることが、その場だけぎこちなくなる。

——そんな人に向けて書きます。

先に結論を言うと、動作が下手になったのではなく、気にすることが増えているのかもしれません。

見られていると、いつも通りにできなくなる

自分の作業を誰かが横で見ている。

そういうとき、手が止まったり、順番を間違えたり、言葉が出てこなかったりします。

一人でやっているときには、そんなことは起きません。同じ作業のはずなのに、見られている間だけ違います。

そして終わったあとで、自分は人に見られると弱いと考えます。

視線に気づいた瞬間から、切り替わる

途中までは普通にできていたのに、誰かが見ていると気づいた瞬間から変わることがあります。

作業の内容は同じです。急に難しくなったわけでもありません。

見られる前と後で差が出るのは、腕が落ちたからではないのだと思います。 切り替わるタイミングが、はっきりしすぎているだけです。

夜、間接照明だけの部屋で、湯気の立つマグカップが置かれたテーブル

確認する項目が、増えているのかもしれない

見られている間、頭の中では何が起きているでしょうか。

今の言い方は適切だったか。手の位置はこれでいいか。この順番で変に見えないか。物をここに置いて大丈夫か。

作業そのものは変わっていません。見られる前と後で変わったことの一つは、確認する項目が増えていることだと思います。

普段なら流れの中でやっていることを、見られている間は一つずつ確認しながら進めています。やることは同じでも、頭の中の確認は増えています。

私が見られているときに気にすること

私の場合、見られていると過剰に気にするところがあります。

声のかけ方。手の置き方。起こし方。抱え上げ方。物の置き方と、置き場所。

一つひとつは普段から気をつけていることですが、見られている間は、それが一度に意識へ上がってきます。

いちばん気になるのは、利用者の家族

見られる相手はいろいろいます。上司、先輩、新しく入った人、そして利用者の家族。

私がいちばん気にするのは、家族です。

家族は、こちらの仕事を見に来ているわけではないと思います。会いに来ているだけです。それでも、こちらは見られている側になります。

何を見ているか分からない相手ほど、気にする範囲が広がる

なぜ家族がいちばん気になるのか、考えてみました。

上司や先輩に見られているときは、何を見られているかがだいたい分かります。 手順が合っているか、安全に配慮しているか。見る側も、同じ仕事をしてきた人です。

家族の場合は、こちらからは何を気にして見ているのか分かりにくいです。私の場合、その分だけ確認する範囲が広がります。

少なくとも私の場合は、相手が厳しいからというより、何を見ているのか分からない相手ほど、気にする範囲が広がります。

相手が悪いわけでも、こちらが気にしすぎなわけでもありません。何を見られているか分からないと、最初は気にする範囲を狭めにくいのだと思います。

同じ部屋で、湯気が消えたマグカップが置かれたテーブル

新人の頃は、手順を飛ばしたこともある

働き始めた頃は、緊張して手順を飛ばしたことがあります。

見られている場面で、いつもやっているはずのことが抜けました。

今は、以前ほどそういうことは起きなくなりました。ただ、それは見られても平気になったからではありません。

私にとっての「慣れ」は、気にする場所が分かってきたことだった

何が変わったのかというと、どこに注意すればいいかが分かってきた、という感じです。

緊張がなくなったというより、どこへ注意を向けるかが前より分かるようになりました。

以前は全部を同時に見ようとしていました。今は、この場面で特に確認したいところが、ある程度分かります。全部を同じ強さで意識しなくても進められるようになりました。

見られている状況そのものは、昔と変わっていません。変わったのは、その中で自分が見ている範囲のほうです。

絞れるまでには、時間がかかる

どこを見ればいいかが分かるまでには、時間がかかります。

私も、働き始めてすぐに分かったわけではありません。同じような場面を経験しながら、どこを特に確認するのかが少しずつ分かってきました。

今ぎこちなくなることだけで、普段の自分の動きまで同じだと決めなくていいのだと思います。

ただ、すぐに変わるわけでもないと思います。来週から急に平気になる、という話ではありません。

見られる場面が、なくなるわけではない

仕事をしていれば、見られる場面はなくなりません。指導するときも、評価されるときも、家族が来ているときも、誰かの目はあります。

仕事では、見られる場面を完全になくすのは難しいと思います。だから、見られないことだけを前提にするより、見られているときに何を気にしているかを見るほうが、今回の話には合っています。

そのうえで、その一回でうまくできなかったことを、自分の実力そのものとして数えなくていいのだと思います。そのときは、普段より多くのことを同時に確認しながら動いていたのかもしれません。

朝の玄関に置かれたトートバッグと白いスニーカー

今日できる、小さな一歩

もし何か一つだけ試すなら、最近、見られていてやりにくかった場面を一つ思い出して、そのとき何を気にしていたかを書き出してみてください。

声の出し方。手順。相手の表情。失敗していないか。

いくつか出てきたなら、動作そのものとは別に、同時に確認していたことがあったと分かります。

減らせるかどうかは、今日は考えなくていいです。何を気にしていたかを見るだけで十分です。

おわりに

見られているとうまくできないのは、実力が足りないからとは限らないと思います。

同じ作業をしていても、見られている間だけ、普段より多くのことを確認していることがあります。

私の場合、以前より動きやすくなったのは、見られることが平気になったからというより、その場で特に何を確認するのかが分かってきたからでした。

すぐに変わる話ではありません。ただ、見られていてぎこちなくなった一回を、そのまま普段の自分の実力として数えなくていいと思います。

まずは、そのとき自分が何を気にしていたのか。そこを見るくらいからで十分です。

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