一つの出来事で「自分はいつもダメ」と思う人へ。事実の範囲に戻す

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廊下ですれ違った同僚に挨拶をしたのに、返事がなかった。

それだけのことなのに、頭の中では話がどんどん大きくなっていく。「感じ悪かったかな」「もしかして嫌われてるのかも」「そういえば最近、みんなの反応がそっけない気がする」。気づけば、「自分は職場で浮いているのかもしれない」というところまで一気に飛んでいる。

一つの出来事のはずなのに、「いつも」「みんな」「絶対」という言葉が、いつのまにか頭を占めている。——そんな人に向けて書きます。

先に結論を言うと、それはあなたが大げさだからでも、弱いからでもないのかもしれません。一回の出来事を、実際より大きな範囲に広げて受け取ってしまっているだけなのだと思います。

静かな施設の廊下に午後の柔らかい光が差し込んでいる様子

大げさに感じるのは、性格のせいではない

まず言っておきたいのは、「いつも」「みんな」と考えてしまったからといって、考え方が間違っている人だと決めなくていい、ということです。

疲れている日は、一つの出来事を細かく区切る前に、過去の似た不安までまとめて考えてしまうことがあります。「今日は返事がなかった」という一回の出来事が、「いつも冷たくされる」という話へ広がっていく。私には、疲れている日に、こうした広がり方が起きやすいと感じることがあります。

余力がある日なら、「今日は気づかなかったのかもしれない」と考えられることもあります。でも、不安が大きい日には、過去の似た場面まで次々と思い出し、「やっぱり自分はいつもこうだ」という結論へ広がってしまうことがあります。

私の場合、こんなふうに話が大きくなります

私の場合、申し送りで一つ確認漏れを指摘されたときにも、頭の中で話が大きくなることがあります。

指摘されたのは、その日の一件についてです。それでも、「また同じミスをした」「自分はいつもこうだ」「この仕事に向いていないのかもしれない」と、あっという間に話が広がっていきます。

実際には、その日のその一件だけの話のはずなのに、「いつも」「また」という言葉がつくと、まるでずっと繰り返してきた失敗のように感じられてしまう。一度も数えたことはないのに、「いつも」だと決めつけてしまっているんです。

あとから考えると、本当に同じことを何度も繰り返していたのか、その場では確かめてもいませんでした。それでも、「いつも」という言葉のほうが先に浮かんで、実際の回数を見る前に、気持ちが沈んでいました。

「いつも・絶対・みんな」は、範囲を確かめる合図

私はこれを、「いつも」「絶対」「みんな」という言葉が頭に浮かんだときに、気づけるようにしています。

私の場合、この三つの言葉は、実際の範囲を確かめる前に浮かぶことがあります。「今日は返事がなかった」が「いつも冷たくされる」に、「一人に指摘された」が「みんなに思われている」に広がっていく。だから、この言葉が浮かんだときは、間違いだと決めるのではなく、今わかっている範囲と合っているかを確かめます。

  • 「いつも」が浮かんだら、実際に何回あったか確認してみる。
  • 「みんな」が浮かんだら、具体的に誰のことか考えてみる。
  • 「絶対」が浮かんだら、今の時点で確定していることは何か考えてみる。 「次も絶対失敗する」と感じても、確定しているのは「今日は一件うまくいかなかった」までです。

確認して一回だったなら、「今日の一回」まで話を戻せます。本当に何度も続いていたなら、無理に小さくする必要はありません。繰り返されている問題として考えてよいと思います。ここで確かめたいのは、気にしすぎかどうかではなく、頭の中で広がった範囲と、実際に起きた範囲が合っているかどうかです。

木の机に置かれた開いたノートとペン。柔らかい自然光の静かな様子

疲れた日は、話が広がることもある

介護の仕事では、利用者さんへの対応や記録、申し送りなど、頭を使う場面が続く日があります。

頭を使う場面が続いたあとには、一つの出来事を細かく区切る余裕が残っていないこともあります。私自身、そうした日の終わりに、小さな指摘やそっけない反応があると、その場面だけで済ませられず、「いつも」「みんな」へ広げてしまうことがあります。

疲れだけが理由とは限りません。ただ、話がいつもより大きくなっていると気づいたら、「今日は余力が少ないのかもしれない」と考える余地は残しておいてよいと思います。

一回だと分かっても、気になる気持ちは残っていい

念のため書いておくと、「いつも」ではなく一回だと分かったからといって、その出来事への気持ちまで消す必要はありません。

一回の出来事だと分かっても、その一回が気になること自体は自然なことです。「いつも」ではないと分かれば十分で、無理に「気にしない」まで頑張る必要はありません。範囲を実際の大きさに戻すことと、気持ちの整理をつけることは、別の話として分けておいて構わないと思います。

今日できる、小さな一歩

もし何か一つだけ試すなら、「いつも」「みんな」「絶対」が頭に浮かんだとき、今わかっている事実だけの一文に言い換えてみてください。

「みんなに嫌われている」ではなく「今日、一人から返事がなかった」。「自分はいつもミスをする」ではなく「今日、申し送りで一件確認が漏れた」。気にしないところまで進まなくて大丈夫です。今日は、話を実際に分かっている範囲へ戻せれば十分です。

窓辺の小さなテーブルに置かれた湯気の立つお茶。静かな部屋の柔らかい昼の光

おわりに

一つの出来事で「自分はいつもダメ」と感じる日があっても、大げさな人や弱い人だと決めなくていいと思います。

「いつも」「絶対」「みんな」という言葉は、話が実際より広がっていないか確かめる合図なのだと思います。

少なくとも私にとっては、その言葉が浮かんだときに一度確かめてみることは、大きくなりすぎた不安を、実際の大きさに戻してくれる、小さな確認作業になっています。本当に何度も続いていることなら、それはそれとして、繰り返されている問題として向き合えばいいのだと思います。


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